印順導師

1906年に浙江省海寧に生まれ、2005年に新竹で遷化。生涯を仏法の研究に捧げ、750万字の著作を残し、「人間仏教」の思想によって仏法を人の世へと導きました。

妙雲蘭若について

音声ガイド 00

民国53年(1964年)、印順導師が閉関(修行のため外界との関わりを断つこと)した嘉義の「妙雲蘭若」は、現在では印順導師が創設した四大道場の中で唯一、最も初期の建物が保存されている文物館となっています。そこから、一代の高僧の質素な生活と精神を感じ取ることができます。

1964年5月26日、印順導師は関房(修行部屋)に入り、閉関して修学に専心しました。閉関の期間はわずか1年でしたが、それは印順導師が2500年前の仏陀の本心を追求し悟りを開く原点となりました。

また、個人の生涯において最も代表的な著作であり、台湾仏教界に多大な影響を与えた『妙雲集』を残しました。これは、「人間仏教」の理念が台湾で展開されることになった極めて重要な転換点を表しています。

妙雲蘭若での閉関

音声ガイド C 関房(閉関の部屋)

関房の最大の特徴は、外界との連絡に使われた「円窓」です。閉関中、導師は部屋の外へ出ることなく過ごしました。侍者が食事や手紙を届ける際には、軽く三回ノックするのが合図でした。毎晩7時には導師が窓を開けて弟子たちに教えを説き、毎週土曜日の午後2時から4時までは、信者が訪れて教えを請い、疑問を尋ねることができました。

この小さな円窓は、「閉関しても衆生を忘れない」という導師の姿勢と、生涯を貫いた「仏教のために、衆生のために」という大いなる悲願、そして伝法の精神を物語っています。

法の海に心を遊ばせて——静寂と光明

関房内の仏龕には釈迦牟尼仏が祀られ、導師が毎日経文を唱えた場所です。導師は自伝の中で、執筆の間は仏法に没入し、まるで学生が先生の前で暗誦し復講するかのようであったと述べています。静寂の歳月の中にあっても孤独はなく、法の喜びに満ちていたといいます。

右側の机の上には小さな盆が置かれ、仏像と香炉が載っています。閉関中は物資が乏しく紙も高価でしたが、導師は原稿用紙に丁寧な小さな文字で書き続けました。ここで『妙雲集』を編纂し、『原始仏教聖典の集成』『中国禅宗史』『中国古代民族神話と文化の研究』など多くの大著を完成させました。

左側の書棚には、導師が生涯に著した750万字に及ぶ著作、『大蔵経』、各種の参考書が並んでいます。そばにはラジオ、腕時計、眼鏡、名刺、そろばんなどが置かれ、深い学識と質素な日常が溶け合う暮らしぶりを伝えています。

掩関遥寄——智慧の灯よ、永遠に

壁に掛けられた「掩関遥寄」の書は、1964年5月26日の仏誕日に閉関するにあたり、導師が国内外の同道に向けて心境を告げた偈頌で、のちに『華雨香雲』に収録されました。

出家して35年、台湾に来て12年。著作を焼かれ、書き直しを余儀なくされるなど、幾多の風雨と混乱を経てきました。悲しみを覚えつつも、それ以上に歳月の無常に驚かされます。しかし、各地を流浪した真諦や、挫折を味わった鳩摩羅什など古の高僧たちも、逆境の中で弘法を続けてきました。古今の事情はもとより同じ、どうしてさらに憂いを重ねる必要があろうか——。

もろく儚いこの身を三宝の加護に委ね、教えの理解と実践を深めて衆生を利益したい。質素で厳しい歳月の中で日々の務めを守り、弘法利生の願いを胸に、万物の静けさと向き合いながら、聖なる道が人の世を照らし、正法が久しく住することを願ったのです。

寝所——簡素と工夫

印順導師の寝所は、木の板によってベッドと書棚が巧みに仕切られています。ベッドには目の細かい防虫網を張った引き戸が二枚あり、風を通しながら蚊や虫を防ぎます。簡素ながら工夫に富んだこのしつらえに、導師の質素な暮らしの知恵がうかがえます。

食事——「万年菜」と湯のポット

閉関中の三度の食事は、落花生、豆腐、青菜だけでした。献立が何年も変わらなかったことから「万年菜」と呼ばれました。机の上には湯の入ったポットがひとつ置かれているだけで、食事はきわめて質素でした。修行に専心した歳月の、厳しくも簡素な暮らしぶりがうかがえます。

平凡なる一生

音声ガイド 6 平凡なる一生——印順導師記念館(5F)

館内に入ると、白い精神柱と弧を描く展示壁が織りなす空間に貴重な写真や手稿が並び、「人間仏教」を実践した印順導師の大いなる願いを映し出しています。激動の時代と仏法の危機に直面した導師は、三蔵を深く究めて仏法の本源を明らかにし、仏法を精神のふるさとへと立ち返らせ、理にかない時機にかなった思想を切り開きました。

それでは、導師の生涯における五つの重要な段階をたどってみましょう。

一、仏道の中で自らの心を探る

青年時代の導師は、肉親との別れや死を経験し、生命について深い迷いを抱きました。儒教、道教、キリスト教の間で懸命に答えを探し求めた末、ついに仏法の中に解脱の光を見いだし、決然と剃髪出家して、真理を求める道の第一歩を踏み出しました。

二、仏法と現実の仏教との隔たり

出家した導師が目にしたのは、鬼神や経懺(読経・法要)、空虚な議論に偏り、衰退していた当時の仏教の姿でした。「なぜ書物の中で理解した仏法と、現実の仏教とはこれほどかけ離れているのか」。その疑問から、導師は仏法を探究する道を歩み始めました。

三、蔵経を読み、仏法の正しい理解を求めて

戦乱と混乱、病の苦しみの中で、印順導師は心静かに大蔵経を読み、広大な三蔵十二部経に深く分け入りました。百花繚乱の仏教思想の中から大乗仏教の流れを明らかにし、思想史の観点から中観・唯識・真常の思想を整理し、位置づけました。

四、仏法の根本を尋ねて

印順導師は「仏法をもって仏法を研究する」という精神を貫き、仏法の本源に迫りました。仏法は長い変遷の中で本来の姿から離れてしまったと考え、その流れを明らかにし、選び分けて洗練させることによってのみ、仏法の本来の精神を取り戻せると信じていました。インド仏教思想の変遷の中で常に原点を振り返り、正法を忘れない——「正法のために、人間の仏陀を懐う」ことを願ったのです。

五、諸仏は皆人間に出ず、終に天上にて成仏せず

『阿含経』に描かれた真実の仏陀の本意に立ち返り、仏陀を神格化する迷信を打ち破りました。修行は人間世界に根ざすべきものであり、他者を利益する「人間の菩薩行」を実践することで、現実の世の中において「諸仏は皆人間に出ず」という核心の理念を成就するのです。

導師の生涯から、あなたは何を見いだしましたか

「因縁とは、かくも真実で、かくも不思議なもの」。印順導師は一枚の落ち葉によって、生命の無常とその壮大さを言い当てました。この歴史を見つめながら、あなたも導師の歩みの中に、自らの人生の因縁の移り変わりを見いだしたのではないでしょうか。

年表と略歴

音声ガイド 7 印順導師年表(B1)

展示室に入ると、弧を描く展示壁に沿って、印順導師の年表が長い巻物のように広がります。落ち着いた僧衣の色調の展示壁は、導師の厳格で質素な生き方を映し出しています。テーマパネルでは自伝を要点ごとの出来事にまとめ、文章、古い写真、自らとの対話を組み合わせて、経論の思想の重みを伝えています。

導師は生涯にわたって仏法の研究に打ち込み、750万字に及ぶ大著によって中国仏教に希望の灯をともし、尽きることのない法の喜びを映し出しています。

一、生命の惑い(1906〜1929)

青年時代と生命の探究

俗名を張鹿芹という印順導師は、浙江省海寧に生まれました。肉親との死別と内面の孤独を経験した後、生死という究極の問いを探究し始め、縁あって仏法に出会い、生命の疑問を解き明かす探究の旅を始めました。

二、求法の道へ(1930〜1940)

剃髪出家と経蔵への沈潜

1930年に普陀山で剃髪出家した後、導師は閩南の地や武昌仏学院、漢蔵教理院で学び、広大な三蔵に深く分け入りました。当時の世俗化や迷信の風潮を前に、導師は「仏法の根本を尋ねる」ことを志し、仏陀がこの世に現れた清らかな本意を明らかにしようとしました。

三、人間に仏を見いだす(1938〜1951)

経蔵の探究と思想の転換

第二次世界大戦の戦火が広がり、国が揺れ動く中、経蔵の中の『阿含経』が放つ、生命に寄り添う真実さと親しみが導師を深く引きつけました。それが、人間世界に根ざして「人間仏教」を推し進める思想と誓願を呼び起こしたのです。

四、慈悲をもって法を弘め、有情を覚ます(1952〜1963)

来台しての弘化と思想の基盤

各地を奔走した歳月でした。この12年間、印順導師はまず香港に移り、のちに台湾に定住しました。日本、タイ、東南アジア各地にも赴き、布教や寺院の建立などを通じて仏法を広めました。この間、福厳精舎と慧日講堂を創建して僧侶の育成に力を注ぎ、広く衆生を救おうとする菩薩の悲願を深く示しました。

五、妙雲の法雨、人の世を潤す(1964〜2005)

大著の完成と思想の継承

国内外での弘法を経て、導師は閉関して研鑽に沈潜し、『妙雲集』をまとめ上げ、『中国禅宗史』によって日本の大正大学から博士号を授与されました。晩年も執筆を続け、『華雨集』などの大著を次々と完成させ、90歳でようやく筆を置きました。2005年、導師は百歳の高齢で示寂しましたが、「身心を衆生に捧げる」その精神は、今なお華人仏教界に深い影響を与え続けています。

印順導師略歴

印順導師は浙江省海寧の人で、1906年旧暦3月12日に生まれました。俗名は張鹿芹。1930年10月11日、福泉庵の清念老和尚のもとで剃髪し、法名を印順、内号を盛正といいます。まもなく天童寺に赴き、具足戒を受けました。

導師は学識に優れ、行いは清らかで、国内外の仏教徒から等しく敬われました。1967年には中華学術院から同院の「哲士」の栄誉称号を、1973年には日本の大正大学から、『中国禅宗史』の独創的な見解により博士号を授与されました。

若き日には太虚大師に従って仏教教育に携わりました。来台後は中国文化大学教授、善導寺・福厳精舎の住職、福厳仏学院・慧日講堂・華雨精舎の導師を歴任しました。また幾度も海外で弘法し、香港仏教会の主席、フィリピン能仁中学の校長、信願寺・華蔵寺の上座を務めました。数十年にわたり研究と著述に力を惜しまず、数十種の書を著して学界に名を馳せ、晩年も大著を次々と世に出して、国内外の学界から特に重んじられています。インド仏教思想の整理と位置づけ、中国禅宗史の解明において、その見解は独自のもので、世の通説とは大きく異なります。唐末以来、肩を並べる者はほとんどいません。のちに導師は妙雲蘭若を築いて閉関し、修行と著述に専心しました。その徳化はますます高まり、現代の国際的な仏教学の大家、国の宝となりました。

弟子 妙峰 謹書 1991年10月27日

映像

導師の法語

音声ガイド 8 印順導師の法語(B1)

学仏の要旨

「善士に親近す」——まず師に親しみ近づくこと。

「正法を聴聞す」——教えを正しく理解すること。

「理の如く思惟す」——仏法を深く認識すること。

「法随法行」——仏法のとおりに修学すること。

印順導師

仏は人間に在り

自らを鍛え、自分の主となり、しっかりと立ち、世のため人のために尽くす力を養うこと。だからこそ釈尊は「家のために一人を忘れ、村のために一家を忘れ、国のために一村を忘れ、身のために世間を忘れよ」と説かれました。「身のため」とは自分一人のためではなく、「世間を忘れる」とは山林に隠れ住むことでもありません。それこそが、真に人の世に入っていくことなのです。

印順導師

この時、この場所、この人

多くの人は仏教を学ぶといえば念仏をして西方浄土への往生を願い、この世界を離れさえすればよいかのように考えています。本当に仏法を学ぶには、仏法の真の意味——この時、この場所、この人——を発揮しなければなりません。

仏法を広めるには、この土地、この世間を忘れず、一人ひとりの縁に応じ、衆生を利益しなければなりません。私たちは人の世にあって誰ひとり孤立しておらず、皆が互いに関わり合っています。ですから仏法を学ぶことは、自分が利益を得るだけでなく、多くの人にも利益をもたらすものでなければなりません。

印順導師

心の苦しみなきところから、身の苦しみなきところへ

仏は人間の導師であり、大医王です。仏を信じ、仏を学ぶことは、すでに正しい道を歩み、明るい未来へ向かっているといえます。今をあまり重く見すぎないこと、まだ無限の未来があるのですから。肉体にあまり執着しないこと、まだ自在な精神があるのですから。

三宝の恩徳と威徳のもとで、皆さまのためにお祈りします。身は苦しくとも心は苦しまないところから、心が清らかになり身も清らかになる未来へと歩まれますように。

印順導師

三世因果論の優れた点

真に三世を理解する者は、どのような境遇にあっても希望に満ち、たゆまず向上し、精進し続けます。

自ら作り自ら受けるという道理から、共に作り共に受けるという道理が見えてきます。どの家庭も、どの国家も、歴史の流れの中で、この因果による浮き沈みの法則に従ってきたのです。

印順導師

慈悲の心

慈悲の心から出発し、自分のことを考えずにさまざまな慈善や奉仕に携わること。もし福報を求めるためだけに行うなら、それは自己中心的なものであり、仏法から見れば浅いものです。他者を利益するだけでなく、自らの身心を清らかにし、煩悩を減らし、戒・定・慧の順に精進して、智慧を開いていくことが大切です。

印順導師